しちおブログ

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「好きなパロディ」って実は「大喜利」?パロディの属性と好き嫌い

「許されるパロディと許されないパロディがあるよな」「パロディばかりの作品はつまらない」といった意見をネット上で見る機会が何度かあります。それに対して私はうんうんと共感しがちですなのですが、反面上から目線で横暴、それって結局好みの問題じゃないのかなとも考えます。こういうのは大抵自分自身の好き嫌いでしかないという結論になります。

それでは一体私はどういうパロディが好きでどういうパロディが嫌い(あるいは面白いと感じない)のでしょうか。自己分析した結果を書き記したいと思います。

※あくまで私自身の話なので個人で考えや好き嫌いは違うと思います。パロディについて考える時参考にでもしてください。

 

3種に分類できるパロディの属性

結論から述べればパロディは

①多人数で認識することで共感するパロディ

②少人数で認識することで優越感に浸るパロディ

③パロディでの大喜利

の3種の属性を見出せます。そして私が好きなのは主に③です。①や②でも笑う時は笑うのですが「こういうパロディが好きだな」と感じるのは③です。

①多人数で認識することで共感するパロディ

有名なネタや流行りのネタを使うパロディは大体この属性を有します。パロディとして使われることで、作り手も消費者もそのネタ(あるいはパロディ元の作品)が好きで楽しんでいることを認識または想像できます。このように共感することが楽しい、面白いといった正の感情に繋がるのは想像に難くありません。

②少人数で認識することで特別感・優越感に浸るパロディ

①とは逆に多くの人が知らないネタを使うパロディがこれを有します。これを理解できるのは自分を含む少数だろうという特別感、もっと言えば優越感に浸ることができます。人間が他人と違うことに喜びを見出すのもこれもまた不思議なことではありません。

③パロディでの大喜利

パロディネタを題材として本編のネタが作られるタイプです。ぶっちゃけ①と②に当てはまらない「その他」と言った方が早い雑な分け方の属性です。個人的にこれで浮かぶ作品の一つが『ぎゅわんぶらあ自己中心派』。世代ではないんですが当時の時事ネタや他の漫画などを麻雀に落とし込んでネタを作る、言わば大喜利(本当はとんちって言った方が正確らしいですが)と言われる手法ですね。

3種の属性の併存・変質

上記の3種の属性はひとつのパロディが複数持ち合わせることもありますし、時と場合によっては同じネタのパロディでも属性が変化することもあります。「属性」という言い方をしたのもこの複数の性質が併存したり状況に応じて変質することを説明したかったからです。

例えば③は単独で存在できる属性ではありません。まさか誰も知らないネタでパロディするわけにはいかないし、仮にやってもそれはパロディとは別の何かだと思います。パロディはやはり理解する人間が多かれ少なかれ存在することが前提ですし、理解する人間がいるのならその人数は多数か少数のどちらかに属さざるを得ません。

また、同じネタ、例えば「深夜アニメのパロディ」を別の深夜アニメでやれば恐らく視聴者の層は被っているため多人数で共感する①の属性になります。しかしゴールデンのバラエティ番組でやればネタを理解できる視聴者はほとんどいないでしょうし、その場合少人数で特別感を得る②の属性になります。

もっと言えば①と②で前提とした「パロディしたネタが有名であるかどうか」も絶対的な尺度はありません。究極的には「見ている個人が有名であると思っているかどうか」が全てとも言えます。Aさんは①的楽しみ方をしたがBさんは②的楽しみ方をした、ということもあり得ない話ではないでしょう。

③が他2種と違う部分

属性について考えた所でどうして私は③が好きなのか?それを少し掘り下げてみます。それは③が持つ何かが好きというより①と②が持つ性質が苦手なことに起因しているようです。③は「その他」属性なので違いはたくさんあると思いますが、私の好き嫌いに直結する違いはひとつ。

「自分以外の消費者を想定しなければならない」部分です。

これは「自分のためだけの作品じゃないといやだ」という意味ではありません。ただ私は作品を見る時「自分と作品の1対1」という姿勢で見ることが多いです。意識の上であれ他人と関わる時は、その作品を見て自分がどういう風に思ったかとかの言わば個人の感想を前提とし、それを持って臨むものだ、という姿勢です。

ですが①と②は「他の消費者」を想定しないと楽しめません。他の消費者を排除した状態で作品を見ていっている時にパロディを挟まれても前提がかみ合ってないため笑えない、少し白けた感情になったしまう訳です。せいぜい作者に親近感を持つくらいでしょうか。その点③は大喜利という形式上パロディ元を活かしたネタが行われるため知識こそ必要な場合が多いですが他の消費者を想定する必要はありません。③が好きというよりは面白いと思えるネタの中に③があるという感じです。またパロディ元を活かしたネタは「作者、あの作品のこと分かってんじゃん」と感じられやすいのも理由のひとつです。

 

 

 

偉そうに語りましたがどの属性を持ってようが笑う時は笑います。不意打ち気味に①が入って来た時はよく笑うし、違和感無く、しかし明確な意図の②が入ってくると思わずニヤリとします。でもやっぱり面白いなぁと思うのは③かなぁ。でもそれってパロディが好きというよりは大喜利が好きなんじゃないかなぁ。